宮古島には「年金通り」というスナックの集まる場所があるらしい。これが、なかなかたどりつけない訳なんだけど。
■タコの介は決然と動き出した
3月の初旬、タコの介は沖縄本島の南300キロ、宮古島にいた。
宮古島は沖縄の中では4番めに大きな島で、人口は5万人を超える。意外と人口が多い。地形は平坦で山がないので川もない。川からの土砂の流入がないために海の透明度が高く、ヒーチの美しさには定評がある。
滞在は沖縄の赤瓦の古民家風のコテージに3泊した。門の上ではシーサーが見守り、低いサンゴの石垣にはピンクの花のブーゲンビリアが絡まっている。
さて、宮古に来たはいいが、なんか目的があったわけではない。一日だけ宮古やその離島のビーチ廻りをして、その感動のあまりもう出歩かずに古民家風でぐうたらと青い空だけを眺めていた。
畳に寝っ転がって本を読んでいると、米国はワシントンDCからやってきたタカが大変重要な情報を持って来た。
「宮古には年増のママがやっているスナックの通りがあるらしいよ」
タコの介はいつも旅に出たら、その地のスナックのドアを開けたいと思っている。カウンター越しに、ママさんと地元の訛りまじりで世話話をしたい。
■ちゃんと案内してよ
よし、そのタカの話に乗った。タコの介が宮古に来て初めて自ら動き出した瞬間だ。するとミュージシャンのザコが「俺の知り合いが飲み屋をやってるから、そいつにスナックを紹介してもらおう」と話はトントンと進んだ。
ところが、ものごとはそう簡単にはいかない。なにを思ったかその飲み屋のオヤジ、タコの介たちに紹介したのは、きれいな若い尾根遺産がいる店だったのだ。ソファーの両側に尾根遺産が座り、標準語で話しだした。つまり、そこはキャバクラだった。
4人くらいのキャバ嬢とひと通り話したあと聞いた。
「宮古歴どのくらい?」
2カ月、1年半、3年。出身も福岡、長崎、広島、東京。全員が内地。なんとタコの介の隣りは同郷の信州ではないか。カウンター席にぽつんと座り、地元言葉で世間話をしてくれる40歳後半のちょっと疲れて後れ毛のあるママとの会話は絶望的となった。
「信州のどこ?」
「長野市」
一番話したくない。
「信州弁でズラとか言う?」
「いいません」
なんで俺は南国の楽園、宮古島にまで来て、信州の子に気を使いながらくだらない話をしなくちゃならんのだ。俺は40後半の憂いのあるママとカウンター越しに話をしたかったんだ。元はと言えば、あのやけに調子のいいザコの音楽仲間のオヤジの陰謀から始まった。
「年金通り」というとても奥深い名前の場所にあるスナックのママ。ママァー!
逢えずにごめん。
春です。バラのレッスンをしましょう。おさはち(小山内健)先生の漫才調講習会、始まり、始まりぃ。
■近くのホムセンに、おさはち先生がやってきた
今回はバラのお話。ここではまだ語ってはないテーマだが、タコの介にとっては釣りと同じくらい大切だ。
信州生まれ、東亰育ちのタコの介。以前からこてこての関西人とか関西弁がどうも苦手。いや、関西の親しい友人はたくさんいるので、これはタコの介の勝手なイメージだ。そんな関西人を今回は間近に見てしまい、タコの介としては「いったい、どうしたらいいんだ」状態に陥ったことをまずお知らせして、今回のコラムを始めたいと思う。
タコの介が出かけたのは、東亰都多摩市の唐木田というところ。唐木田駅は小田急多摩線の終着駅。駅の目の前に巨大な「ケイヨーD2唐木田店」がある。そう、ホムセン。正式にはホームセンター。南大沢の自宅から電車で20分だ。
今日は待ちに待ったおさはち先生のバラ講習会がここである。おさはち先生は、その豊富なバラ栽培の経験、知識を生かして講習会などで人気を博している。とくに40代以上のバラマダムたちに。会場は室内の休憩コーナーだが、30分前で椅子は満席寸前。タコの介はなんとか片隅のひとつを確保した。立ち見も出てお客の数は60人以上になっている。
そのなかで男は数人。マダムに付き合って来たお父さんたちだ。タコの介は単独。異質感満載である。しかもメモ帳にカメラスタンバイのスマホを用意している。
■「バラは人間と同じです」
パチパチ! おさはち先生が登場。さっそく語りはじめた。
「ぼくは関西人です。吉本系のバラ芸人です。所属は京阪園芸ですが、芸人の方の京阪演芸です。笑いを取ってなんぼです!」
これで会場はドッカーンとなった。さすがにつかみは上手い。
バラの話となると具体的で的確だ。今年は暖冬。バラもそう思っている。彼らはカメやトカゲと同じで気温に敏感に動き出す。赤い芽が弾けて葉っぱが出るのはもうすぐ。「みなさん、剪定は終わってる?」とバラ愛好家をドキリとさせた。やってないよー。
こうして、おさはち先生はみずからバラになって「うーん、あったかいな。もうちょっと葉っぱを伸ばそ。あれ? 緑のぶつぶつがいっぱい付いて来た。なんだ?」それは憎きアブラムシだ。
笑いを連発させて、おさはち先生のバラ漫談が30分の時間オーバーで終わった。タコの介が最初におさはち先生に会ったのは、4年前の一本木公園のバラ園だった。信州の中野市にある。レッスンが終わり、質問のコーナーになった。タコの介は手を上げた。
「バラゾウムシを何とかしてください」
そのとき、おさはち先生はちょっと口ごもった。バラゾウ君は厄介な害虫で極小の甲虫類。薬剤も効きにくい。ヤツは地面からせっせと高いバラの枝の先端まで上り、大切な蕾だけを貪り食う。ヤツに食われるとバラの花はクタッと萎れておしまい。
バラには四季咲きと一季咲きがある。タコの介は一年で一回しか出会えない一季咲きのバラが好きだ。一季咲きにはタコの介が愛するオールドローズが多い。その一期一会のようなオールドローズを食って、お終いにするんだよ。許せると思う?
おさはち先生の答えは「効く薬剤もあるけど薬剤散布は嫌いでしょうから、最後の手段、手で取って下さい。いわゆる『テデトール』です」
やるね。先生。
「バラは人間と同じです。暑いとき寒いとき、お腹がすいたとき、疲れたとき。そんなとき、みなさんはどうします? パラも同じように手当てしましょう」
タコの介は存分におさはちワールドを愉しんだ。病を得ているタコの介。あと何回先生のバラ漫談を聞けるのだろうか。
八重の紅梅が咲いていた。突然、好きな人に本を譲ろうかと思った。
■いらなくなった本は捨てる
タコの介の座り机の周辺には積んでいる本が多い。そこにまた本が届く。これは負の連鎖というか、富の連鎖かもしれない。なんてバカなことを思ったりしている。
でも、少しでも本は読んでいるので、読み終わった本たちも行き場所がなくさまよっている。彼らもなんとかしないと。
タコの介はいらなくなった本は、思い切って捨てることにしている。一時はあんなに愛していたのに、なんと非情なと思うかもしれない。でも、これはタコの介のちょっとカーブの掛かった愛情なのだ。
もったいない。ブックオフやネットの古本屋があるだろう。ごもっとも。おっしゃる通り。でも、こうした古書店の買取価格を知ってます? 引越しでちょっと多めに処分する本が出たので、ブックオフのお兄さんを呼んだことがある。結果は単行本も文庫本も一冊10円から30円。人気の新刊本なんかは違うだろうけど、ちょっと古くなった本はそんなものだ。
ネットの古書店の話だと、送られてくる本の半数は廃棄処分されているという。だとしたら、自分も古書店も無駄な人件費をかけるのはやめようとタコの介は思ったのだ。すっぱり燃えるごみになってもらおう。
■古本は著者を育てない
もうひとつ、タコの介がいつも気にかかっているのは、本を書いた著者の利益をどう考えるかということだ。古本屋を通して一冊の本を複数の人間が読みまわす。何人読んでも筆者には一冊分の印税しか入らない。古本屋もこの問題はスルーだ。タコの介はこの状態を著作権者はよく黙っているものだと思う。
JASRAC(日本音楽著作権協会)は調査員を使って徹底的に著作料を徴収している。ひるがえって、出版物の著作権の大らかさはどうだろう。そこには、出版物は文化の担い手だという伝統的な自負心があったのは否定できないけど。
同じような懸念は我が愛すべき図書館にもある。今の図書館は利用者のサービスに力を入れている。それはいいのだが、利用者のリクエストが多いからといって、ベストセラー本を何十冊も購入する必要があるのだろうか。
利用者も利用者で、ベストセラー本こそ自分で買うべきだと思う。書店には平積みされているのだから。それをリクエストして何ヶ月も順番を待っている。そこに読者はいるのに買ってはくれない。本の著者はたまったものでないだろう。
タコの介としては、大量に購入するベストセラー本の資金を、個人では買えない稀覯本とか郷土史などの手に入りにくい本に使ってほしいと思ってる。
最後に古書に戻る。タコの介も古書にはずいぶんとお世話になっている。それを本は古本屋に出すな。燃やしちまえ。と過激に扇動したのはどいつだ。ということになるのだが、どうしよう。これは結論の出ない悩ましい問題である。
せめてごみにしないで、表題のように「好きな人に本を譲ろう」か。
文庫本には布のブックカバー
着物の絹布を使ったブックカバー
タコの介はちょっと大きめの座り机を使っている。そこにじわじわと本が積み重なってゆく。ちゃんとした書棚がないからだ。本来の居場所がない本は、自由気ままにあちこちに。それがタコの介の本の佇まいとなっている。
そんな文庫本を眺めていると、ちょっと着飾ってやろうか。なんて気持ちがわき起こってしまった。着飾るならブックカバーだ。そこで、いつもお世話になっているメルカリに行ってみた。
あるある。山ほど。既成品もハンド・メイドも。
お目当てはやっぱりハンド・メイドだ。きっと手芸好きな奥様や若い女性が心を込めて作っていることだろう。妄想がムラムラとふくらんでしまう。
1,000円前後の立派なものもあるけど、タコの介は400円以下を狙う。それでも気になるブックカバーはたくさんあった。とくに着物生地を使ったカバーに惹かれるものが多かった。
しかも裏地に着物の絹地を使っているのを見つけると、もうどうしようもなくなる。これが350円だったりするんだよ。いいのかい?
いつの間にかそんな布製のブックカバーが集まりだした。やはりタコの介はダークグリーンが好きなんだ。黒と紺もある。自分が着る服の色そのままだ。
で、カバーをかける文庫本は、未読ですぐ読みたい気に入った本。そんな本があっという間に集まった。まだ予備軍も控えている。早く読まなくては。
そんなことを机に頬づえをつきながら思っている。でも、『カササギ殺人事件』につい手を出しちゃったから止まらなくなっている。
# 本 #ブックカバー #カササギ殺人事件
椎名誠から本が届いた
旅する作家の心にしみる家族の物語と写真
椎名さんから本が届いた。「世界の家族 家族の世界」(新日本出版社)
辺境地を中心とした世界各地の家族を訪ねた本。写真家シーナのさりげない温かい写真も見どころだ。
椎名さんが訪ねた先は17地域。モンゴル、アマゾン、チベット、ニューギニア、パタゴニア、北極圏、キルギス、ラオス、アイスランド、信州など。ずらっと並べただけでも「お疲れさま」と声をかけたくなるようなラインナップだ。辺境への旅心も読む人を刺激する。
写真のほとんどが家族の集合写真。それも食事風景が多い。やはり、家族が寄り添って絆は深めるのは、食事なのだということを写真は確かに伝えてくれる。
その中に、たった一ヶ所日本の信州の里山が紹介されていた。ほかに日本では伊豆諸島の青ヶ島がある。信州はタコの介の故郷だ。タイトルは「長野県のある限界集落」。人口が極端に減少して、残っているのは老人ばかりという取り残された家族かと思ったら、全国から若い夫婦が移住してきて、新しいコミュニティができ上がっているという話で希望がわいた。その集落は長野県の信州新町信級。
肝心の家族の物語だが、さらっと短い文章で終わっている。詳しい家族の肖像は改めて筆を起こすようだ。雰囲気たっぷりの写真と家族の優しさに迫った椎名誠。世界各地を歩き、齢を重ねた者にしか表現できない世界である。
#椎名誠 #旅 #写真
変態キーボード生活
今回はとてもマニアックなお話です。あきれてください。
■4段49キー。変態キーボードの生活
白状しますが、タコの介はキーボードと日本語入力については変態です。たぶん、日本でも54人以下(タコの介の想像)しか使っていないような組み合わせで、これを書いています。
いま打っているキーボードはMagicforce smart 49keyといいます。名前のようにキーが49個しかなく、上下4段しかありません。通常のキーボードは108キーですから半分以下です。ホームポジションに指を置くと、キーボード全部が隠れてしまいます。USキーボードです。小さいのでEnter、BackSpace、Delキーも右手小指が簡単に届きます。
キースイッチは赤軸のリニアです。軽い方ですが、タコの介には重いです。メカニカルなので音がカチカチします。あとはファンクションキーを多用しないと数字や記号が打てません。いったいこんなキーボード、だれが使うのでしょうか。はい、あたしのような変態です。
みなさん、日本語入力の配列は何ですか? 「ローマ字入力だろう」とおっしや(小さな「や」が出ない)るでしょう。当然です。全体の8割はローマ字入力ですから。残りの2割のうち1割が親指シフト入力。最後の1割にはさまざまな入力方法がひしめいています。その数、数10個(あたしの感覚)。
そのなかのひとつに、今タコの介が使っている「薙刀式(なぎなたしき)」があります。「かな入力」です。たぶん世界中で、これを使っているのは10人いるかどうか。
「薙刀式」は大岡俊彦さんがひとりで設計して作り上げた配列です。作家でもある大岡さんは、入力の速さよりも、物語を気持ちよく書くための配列を作り上げました。タコの介がこんなレアな配列を使っている理由も、ここにあります。
かな入力なので、50音のほかに拗音、濁音、半濁音など、合わせると100個以上のかなの位置を覚えなくてはなりません。大変だと思うでしょうが、意外と覚えられるものです。
かなの位置は一週間で覚えました。時間は一日30分。タッチタイプまではまだいきません。でも、これで文章を考えながら書くにはいいスピードです。まるで万年筆で一字一字書いているような感覚です。
みなさんも、たまには立ち止まって、毎日手にしているキーボードと日本語の入力について、考えてみてはいかがでしょうか。
#キーボード #薙刀式 #日本語入力
座り机の周辺にて
■たまり続けるものたち
たまってゆく。知らないあいだに。
いや、じつは分かっている。たまり続けているものたちのことを。
「はい、また来たわよ」
妻はまるで新聞を届けるように、毎日「たまるもの」を置いてゆく。さっきも届いた。きのうも届いている。
それはもう、死ぬまでにやり切る数ではなくなった。
本がたまってゆく。じわじわと。
ひとつふたつはたいしたことはない。だが、じわじわはまずい。タコの介66歳。気がつくと、いまが生涯で一番本を買っている。
それなのに、タコの介の部屋には書棚がない。ある理由があって本箱、書棚のたぐいは信州の実家に送ってしまった。
ちなみにタコの介の机は座り机である。ここであぐらをかき机に両肘をついて、ときには頬杖をついては、一見ものごとを深く考えているようで何も考えてはいない。
■本は野面積み
そんな無防備なタコの介をめがけて、「たまるもの」は勢いをいや増して、これ幸いと机の周辺を侵略しはじめた。
かなり広い机だが、やつが占領するのに時間はかからなかった。コーヒーカップ、キーボードの置き場所に困ったときに、タコの介は本立てを机の正面に設置した。だが、多くの予想通り、「たまるもの」の勢力はこんなものでは衰えない。
それ以来、タコの介はきっぱりと諦めたんだ。本を収納することを。やつが崩れないように、細心の気は込めて積むことに決めた。まずは、文庫と単行本を別々に分けた。そして背表紙が見えるようにして積んでゆく。傾いてきたら使い古しの茶封筒を折って、本のあいだに挟んで修正する。
こうして、タコの介の机の周辺には城の石垣のような壁ができ上がってゆく。この石垣を眺めて、タコの介はある言葉を思い出した。「野面積み(のづらづみ)」。原始的な石積み法で、石と石の間に小石を詰めて傾きを修正しながら積んでゆく。
タコの介はしばしこの「野面積み」を眺めながら、腰をたたいている。座り机は腰が痛くなる。