座り机の周辺にて
■たまり続けるものたち
たまってゆく。知らないあいだに。
いや、じつは分かっている。たまり続けているものたちのことを。
「はい、また来たわよ」
妻はまるで新聞を届けるように、毎日「たまるもの」を置いてゆく。さっきも届いた。きのうも届いている。
それはもう、死ぬまでにやり切る数ではなくなった。
本がたまってゆく。じわじわと。
ひとつふたつはたいしたことはない。だが、じわじわはまずい。タコの介66歳。気がつくと、いまが生涯で一番本を買っている。
それなのに、タコの介の部屋には書棚がない。ある理由があって本箱、書棚のたぐいは信州の実家に送ってしまった。
ちなみにタコの介の机は座り机である。ここであぐらをかき机に両肘をついて、ときには頬杖をついては、一見ものごとを深く考えているようで何も考えてはいない。
■本は野面積み
そんな無防備なタコの介をめがけて、「たまるもの」は勢いをいや増して、これ幸いと机の周辺を侵略しはじめた。
かなり広い机だが、やつが占領するのに時間はかからなかった。コーヒーカップ、キーボードの置き場所に困ったときに、タコの介は本立てを机の正面に設置した。だが、多くの予想通り、「たまるもの」の勢力はこんなものでは衰えない。
それ以来、タコの介はきっぱりと諦めたんだ。本を収納することを。やつが崩れないように、細心の気は込めて積むことに決めた。まずは、文庫と単行本を別々に分けた。そして背表紙が見えるようにして積んでゆく。傾いてきたら使い古しの茶封筒を折って、本のあいだに挟んで修正する。
こうして、タコの介の机の周辺には城の石垣のような壁ができ上がってゆく。この石垣を眺めて、タコの介はある言葉を思い出した。「野面積み(のづらづみ)」。原始的な石積み法で、石と石の間に小石を詰めて傾きを修正しながら積んでゆく。
タコの介はしばしこの「野面積み」を眺めながら、腰をたたいている。座り机は腰が痛くなる。