「親父似!」
指の動かし方がね
「俺、最近親父に似てきた?」
「あら、気がついたの」
自分が突然「親父に似ている」と気づいた。そこで部屋に入ってきた妻に聞いた。すると、返ってきたのが、この答え。
その後、妻はここぞとばかりにしゃべりだしたのだ。
「あなたが60歳を過ぎたころからかな。『いやだ、お父さんそっくり』と思ったの。どこがって? 座ってるところから立ち上がるときの動作。それに指の動かし方がね」
指の動かし方ってなんだ。
妻によると、樋口の男はものを言うことを惜しみすぎるのだそうだ。口で言うかわりに、指で指図する。え? そうなの。そんなやつって、ベスト三本指に入るやなやつじゃないか。
いま、病を得ている俺は、広い慶應義塾大学病院のなかを移動するとき、妻に車椅子を押してもらうことがたまにある。すると、俺は無言であちこちを指差して指図するらしい。妻はその指の動かし方が親父そっくりなのだという。
「ほら、あたし、お父さんを介護してたでしょう。そのときの車椅子のお父さんとあなたのしぐさがそっくり」
妻はおしゃべりだ。普段は俺が無口なのでそうはしゃべらない。だが、俺が不覚にも話を聞く態勢をとると、腰を据えてしゃべりだす。
「最近、歩く姿も似てきたわね。お父さん、ゆっくり歩いたのよね。亡くなる前は」
「……」
「あれ? あっ、そうじゃなくて」
遅い。
おじさんも使うんだ。このハサミ。
むかし、おばあちゃんが縫い物をするときには、必ず傍らにおいていた糸切りバサミ。なんの変哲もない。ただの無骨な握りバサミだ。
長い帯状の鋼鉄を二つに折り曲げて、先端を巧みに延ばして刃を付けて互い違いに組む。無駄は一切ない。まさに職人ならではのシンプルな美しさを持ったハサミだ。
これをさっと手に取り、掌に握っただけで鋭利な道具になる。糸は「ギュシッ」という音とともに、スパッとなんの引っ掛かりもなく切れる。この潔さ。この瞬間、使い手は大きな快感を覚える。
おばあちゃんの裁縫ハサミ
タコの介は手芸店を見つけると、必ず立ち寄ってハサミを捜す。
ハサミコーナーを見つけるオヤジ。
「なんでおじさんが……」といぶかる女店員。
裁縫のおばあちゃんのほかにも、このハサミをずっと愛用しているオヤジたちもいるんですよ、店員さん。
それはヘラブナ釣りをこよなく愛するヘラ師のおじさんたちだ。ヘラ師がこのハサミを使う機会は多い。おもにはハリスやミチイトを切るときに使う。
利き腕の手だけで握って、そのまま糸をスパッ。この間はわずかに2テンポ。
これが西洋バサミだと、とたんに面倒くさくなる。利き腕の反対の手でハサミを持ち、利き腕の親指と人差し指のそれぞれにハサミの輪っかをはめて、ようやく糸を切ることができる。切ったあとも輪っかに絡まる指を反対側の手で外してやっと作業が終わる。ふう、と言いたくなる。
ドリームで見つけた美鈴
タコの介が見つけた手芸店は「ドリーム」という夢のある名前の店だった。意外にもハサミコーナーが充実していた。ここで見つけたのが「美鈴ハサミ」の握りバサミ。美鈴は和鋏のトップメーカーだ。兵庫県小野市に本社がある。
タコの介が買ったのは「イブシ511」。イブシとは防錆加工をしているということだ。値段は950円。これはラインナップのなかでは中級クラス。
特級クラスのになると「美鈴手研501」。価格は3,960円。最高の刃物鋼(安来鋼白紙1号)と軟鉄の複合材を使用した本手打鍛造品で、伝統技術により1丁1丁手造りで鍛え上げた最高級品。表面は綺麗なミガキ仕上げとなっている。
ああ、欲しいッ!
ということで、タコの介は「ドリーム」でしばしヘラ師の物欲を満たしたのであった。
【新年の縁起もの】
暮れのことでした。沖縄から彼女がタコの介に会いにきま
彼女って?
彼女は元「つり丸」編集部員。思うところがあって、12
もとはといえば、タコの介が編集部に連れてきた彼女です
どうした
ひとしきり旧交を温めたあと、彼女が「はい、沖縄の縁起
そして
守礼の門にパンパンして、タコの介の初詣。
2キーボードには全身でぶつかってきた
■タコの介の生命線です!
こうして、タコの介のキーボード遍歴の旅は終わろうとしています。
タコの介が長い時間の末に選んだのは、静電容量無接点方式のキーボードでした。このタイプのキーボードは5台所持しています。信州の実家に2台。東京の自宅に3台。静電容量無接点方式のキーボードはタコの介の生命線なのです。
このうち、主力の4台は日本の東プレのRealforceです。静電容量無接点方式の本家本元です。このキーボードなくして親指シフトは生き残れないでしょう。キーの配置、キータッチ、どれをとってもしびれるほど素敵です。親指シフトばかりではなく、キーボードをよく知る人たちからも「最高峰のキーボード」とか「プレミアム・キーボード」と絶賛されています。静電容量無接点方式というのも、国内では東プレだけが作っているオリジナルなキーです。
前回、3種類のキーボードが残ったと言いました。その1台は先日届いたNiZ 75EC(S) Pro★です。チャイナ製のテンキーレスのキーボードです。これも静電容量無接点方式のキーボードです。東プレをコピーしているので「東プレクローン」とも言われてます。最後の1種類はまた別の機会にでも。
【余話】
これまでクロネコが細長い小包を届けるたびに、カミさんとこんな会話をしてきました。
「当てましょうか」
「う、うん」
「細くて薄く、なぁがーいもの、なーんだ?」
「なーんでしょう?」
「キーボードに決まってるでしょ! いったいいくつ買うのよ。指は10本しかないのよ」
機嫌のいいときのカミさん。
「あら、キーボード変わったのね。かわいい」
黒から白いキーボードに替えたら、アクセントのグリーンのキーキャップを見てそう言いました。タコの介がキーボードを買いまくっていることを、すっかり忘れています。
でも、幸せは長くは続きません。あるとき、恐ろしいことがおきました。
カミさんがクレジットカードの明細から、手書きであるリストを作ってきたのです。マメですね。コワイですね。1~2万円の買い物リストを指差して、
「これとこれとこれはなにかな?」
ひらがなで優しく言うときが一番コワイ。
「だいじなき、きーぼーどですっ。たこのすけのせいめいせん! すみません!」
タコの介もひらがなで必死に応えるしかありませんでした。
1キーボードには全身でぶつかってきた
すべては親指シフトから始まった
恥ずかしながら、タコの介はキーボード・フリークである。万年筆につづいて、いったいいくつのフリークがあるんだ。とお思いでしょうが、お教えできません。恥ずかしいから。
じつは今日も新しいキーボードが届いた。待望のNiz75EC(S) Pro。チャイナの数少ない静電容量無接点方式のキーボードだ。何のことか分からない人は、飛ばしてください。ともかく、キーボードを買うのは、これきりにしようと思う。
タコの介がキーボードフリーク(助かる言葉。オタクと言わなくてもいい)になったのには、しかたなくなったという側面もある。理由は後で。
ことの始まりは、ワープロ黎明期にタコの介が他に先駆けてワープロで原稿を書き始めたことによる。タコの介がいた雑誌編集部では、みんな机にしがみつくようにして手書きでシコシコと原稿を書いていた。
そのときタコの介が使いだしたワープロは、富士通のN100という大型のデスクトップのもので、キーボードは親指シフト。ここからタコの介のうん十年に渡る親指の旅が始まった。それはローマ字入力者には分からない苦難の旅でもある。
親指シフト入力は、50音のかなすべてをワンストロークで打てるというのが売りだ。これがどんなメリットになるのか。一番は入力スピードが速くなる。ローマ字だと、かな1音を打つのに2ストロークかかるからだ。
だから、作家やタコの介のような文章書きには親指シフト愛好者がいる。「指から文章が流れ出るように打てる」と言われた。打ってて楽しい。文章に集中できる。疲れない。
静かで軽いキーボードはないか?
そのかわり、親指シフトはワンストロークを実現するために、複雑なシフトをする。問題はここで、そのシフトのために特別な親指キーが必要となる。
かつては親指シフト専用のキーボードがあった。だが、今では完全に消滅している。そこで既存のキーボードの中から探すことになる。
選択の第一は、スペースキーが短いこと。このスペースキーが親指シフトの役割をする。できたらスペースキーと他のキーがBとNで別れて並んでいてほしい。だからスペースキーの長いUSキーボードは最初から全部アウトだ。
親指シフターは軽やかにキーを打つために、ひとつひとつのキー荷重(打つキーの重さ)は軽い方がいい。キーは表面を軽く撫でるように打ちたい。カチッとしたクリック感のあるキーは使いたくない。と、注文が多くなる。
こうなると、親指シフターが使えるキーボードはごく限られてしまう。そのなかで抜群の人気なのが、静電容量無接点方式のキーボードだ。軽くて静かなキーボードの代表格である。一生モノだが2万円以上と高価だ。
こうして、親指シフターは必然的にキーボードに敏感な身体になってしまう。これがタコの介がキーボードフリークになった、ひとつの理由だ。
何十年にも渡ったタコの介のキーボード探しの旅も、そろそろ終着を迎えようとしている。いま、一生付き合えるキーボードが3種類ほど残った。これで十分だと思えるようになった。
タコの介の死ぬまでの残された時間も、そんなに多くはない。どんなキーボードが残ったのかは、またあらためて。といっても、すぐに書こうと思っているが。
手強いぞ! 中華のあいつ
万年筆フリークのタコの介にとって、中華は油断がならない。べつに中国を警戒しているわけではない。うっすらとは警戒心はあるけど。目が離せないということである。とくに要注意なのがJinHaoという万年筆メーカーだ。「ジンハオ」と言うのだろうか。いかにも中国っぽいけど。
8万円と1,000 の真剣勝負
以前、このメーカーの千円万年筆にやられたことがある。それはJinHao159というそっけない名前のやつだ。これはだれも大きな声では言ってはいないが、どう見てもあの名品、ドイツのモンブラン・マイスターシュティック 149 の完コピ。149に159。こっちが10コ上だ。並べてみると、クリップが違うだけでまったく同じ。片や8万円前後。こちらは1,000円ぽっきり。
あとの勝負は書き味だ。まずはモンブラン。うん、この重さ、この握り具合。ペン先を紙に乗せると、線の端からきっちりとインクが紙に染み込む。生まれたばかりの線はインクの輝きと湿感をもってのびやかに走り出す。
ではジンハオ。重量感たっぷりだ。握りも悪くないぞ。問題は線だな。すーー。あれ? なめらか、のびやか。インクの出もベストじゃん。
この勝負、どう見てもジンハオの圧倒的勝利だ。だだ、キャップを軸の尻につけて書きだすと、すぐポロリと抜けるのが大問題。タコの介は軸の尻にセロテープを巻いた。いまや159はタコの介の愛用品となった。大事な手紙は159で書く。
書き味はつーつー、れろれろ
ところが先日の夜、気の迷いでジンハオをポチっとしてしまった。注文から9日かけてチャイナからやってきたのはJinHao X450という万年筆。相変わらずそっけないネーミング。やつは手作り感いっぱいの包装でやってきた。開けるとブルーのボディが輝いている。
手にすると、ちょっとずっしり感があった。軸の中にはすでにインクのコンバータがセットされている。さっそくブルーブラックのインクを入れた。ちなみに、インクはパイロットのブルーブラックしか使わない。キャップを外して軸の尻につけて書こうとするとポロリ。ジンハオお約束の尻軸ポロリだ。
さて、書くぞ。つーーーー。つーつー。ついでに、れろれろ。
ちょっと掛かり気味だけと、書き味にはまったく問題はない。うーん、この万年筆をどう考えればいいのだろう。タコの介は青く光るペンを握りしめて、目線が固まってしまった。タコの介、何を悩む。
だってこの万年筆、送料込みで895円だよ。
丸山健二を知ってますか?
丸山健二に夢中になったのは、二十代、三十代のころなので、最近の著作はまったく読んではいない。丸山がタコの介と同郷の信州という親近感もある。
ところが、ひょんなことから最近の丸山健二の本に出会ってしまった。知り合いが社長をしている出版社で、このところ精力的に丸山の新刊を出版したり復刊している。小説では緻密な文章と格闘したバケモノ的超大作『千日の瑠璃』がラインナップされている。
その出版社は「求龍堂」という。美術、アートなど学術書が中心の会社なのに、売れない丸山健二の本をたくさん出版していた。たぶん、丸山を大好きな編集者がいるのだろう。
丸山健二は突然、庭でバラをはじめた
丸山健二は二十三歳のとき、最年少で芥川賞を受賞し、その受賞作『夏の流れ』で鮮烈なデビューをした。一時はテレビの旅番組によくでていた。オフロードバイクや四駆を派手に乗り回していたこともあった。
だが、六十歳前後だと思うが、そういう浮ついたことは一切しなくなった。そして一人黙々と、住み着いた信州・大町市の田んぼに囲まれた家で庭作りに没頭するようになった。
バラの栽培と品種の分類をこの上ない喜びとしているあたしにとって、丸山健二は再び見逃せない小説家となった。
彼は生来持っていた意固地、無愛想、頑固といった信州人特有の気質をこじらせて、信州の家にとじこもったということにほかならない。そして、庭作りで見つけたバラの魅力に物狂いするようになった。
「求龍堂」の丸山本で手に入れたのは『さもなければ夕焼けがこんなに美しいはずがない』という、いかにも丸山が言いそうなタイトルの本だ。だが、この一文はヨハン・ペーター・ヘーベル『アレマン詩集』の一節のようだ。
本の帯には「安曇野にこもり、ただ一人の力で執筆と作庭に明け暮れる小説家のエッセイ」とある。まったくそのとおり。
こんな言葉もある。「烈風はバラを容赦なく散らす。しかし、薫風はバラの美をいっそ輝かせる。それは、風とバラの日々」
職人の世界のような肉体仕事の庭作りとバラの日々。そし午前中だけの執筆。いったい、丸山健二に何がおきたのか。
チャペック『園芸家十二カ月』は園芸家のバイブル
それは庭作りについて、丸山が書いている数冊の書籍を読めばよくわかる。あいかわらず自己満な言葉がならぶが、真実も多少は垣間見える。
ちなみに、本書は十二カ月ごとに分けられている。これは園芸愛好家のバイブル、カレル・チャペックの『園芸家十二カ月』を踏襲している。
月ごとにキャッチがある。たとえば四月。
〈四月
「五百年以上の寿命が欲しいと思えるほど奥の深い、ほとんど底無しの感動を望むばかり」〉
信州の四月はまだ寒い。だが、春の絶頂期はすぐそこに来ている。ああ、その四月がやって来た。ずっとこの時間のなかに浸っていたい。できれば五百年以上も。
六月。歓喜が爆発する。一年、待ちに待ったバラが一斉に花を咲かせる。
〈オールドローズとワイルドローズとイングリッシュローズは互いに好感を与え合い、みずみずしい生気を共振させ、非日常的な、この世は生きるに値するのだと言い切ることが可能な雰囲気を生み出す母体となり、庭としての統一感を乱すことなく、人生の負の部分をことごとく除去してゆく。〉〈そこにいるのは、バラたちから聞いた話をほとんど言葉通りに伝える、欲するままにいるせいで赤貧に追いやられかねない、確固たる地盤を築くことを忌み嫌う、無頼の徒と紙一重の喧嘩早い性格を持った、その分だけ美に深く心を揺り動かされる、単純で複雑な男だ。小説家からも園芸家からも脱却した私がバラの微風に吹かれている。〉
そして、すべての生命が眠りにつく十二月。丸山健二はよそよそしく、ただの冷たい空間のようになった庭を見て、命の蘇る未来をふりあおぐ。
〈私には大いなる野心がある。庭と小説を通して到達し得ない世界に肉薄したいという野望を抱いている。その夢を実現させるためには、陰と陽を象徴する、風とバラの日々をくぐり抜けてゆくしかないだろう。風はバラを鍛えて正真正銘の美を授け、バラは風に芳香を浸透させる。そして言葉は、どこまでも覚束ない人間界を風のようにバラの匂いのように通り抜け、名状し難い魅力でもって情操と知性とを激しく燃え立たせるのだ。〉
なんともはや、ため息吐息の丸山ワールド。タコの介は今、病を得て丸山健二のように無邪気に未来を仰ぐことができない。庭に出てバラの世話をするのもままならなくなった。肉体を極限までいじめ抜くような庭仕事をもう一度してみたい。
タコの介、ただいま六十六歳。丸山健二、今年七十五歳である。
この本は七年前に出版されている。